早い子では1年生からオールで野球をさせていただき、次々と新しい仲間が集まり、最終的にここにいるAチームが固まったのが今年の2月でありました。
ジュニア時代にはバッティング練習ではバットに振られ、守備練習ではまるで原っぱのバッタ採り。さすがに3塁からベーランをする子供はいなかった様に思いますが、ルール無用のやんちゃ集団であった様に記憶しております。「これで本当に野球の試合ができるようになるんですかね?」と当時の山武監督と話した記憶がございます。しかしながら監督、コーチの皆様の熱心なご指導と選手たちのうまくなりたいとの思いで、Bチーム時代には月替わりキャプテンにより、いくつかのメダルを勝ち取ることができるまでに子供達は成長しました。 最後の仲間が加わり、新Aチームのスタート 日替わりやりくりオーダーから戦えるチームが固まりました。 新チーム最初の公式戦 神戸親善大会では1・2回戦を順当に勝ち上がり3回戦の三田メジャーにも序盤の劣勢を3投手の継投で何とかしのぎ6回に追いつき最終回に逆転勝ちのベスト8。続く春季大会では決勝戦で敗れたものの何とか準優勝で全神戸選抜の代表権を勝ち取りました。その全神戸選抜でも4−3、3−2と1点勝負をものにしベスト8入り。 このころは観戦していても投打がかみ合い、先行されても追いつく事が出来る本当に粘り強いよいチームが出来上がったと思っておりました。続く新緑大会もベスト8.さあ!これから!と夏の声を聞いた途端に投打がかみ合わず、春の勢いがなくなりました。
それでも「練習で出来ないことは試合でも出来ない」の考えのもと、初めての経験で父兄もバタバタした淡路島夏合宿、有野東の全体練習後の柳谷公園での個人練習。コーチ陣をはじめ父兄も参加し真っ暗になるまでボールを追いかけました。 最後の大会となった北区旗杯。多くの応援団が駆けつけた試合でした。1点ビハインドを、体を張ったプレーで意地を見せ追いつき、何とか粘りましたが結果は惜敗でした。 もっともっとこのチームで試合をしてもらいたかった。 これがAチーム最後の公式戦のはずでしたが、なんとも早すぎる冬の訪れに河村部長のご尽力により選手たちへの特別サービスで始まった秋季甲北杯。最終戦で敗れたものの準優勝で終える事が出来ました。 勝負の世界でよく言われる言葉ですが「勝ちに不思議の勝ちあり・負けに不思議の負けなし」今までの試合を振り返って敗因はそれぞれ自分自身で分かっているはずですね。 これから君たちの進む道はいろいろあると思いますが、中学ではオール有野台の部長、監督、コーチの教え、これまでの経験がきっと役に立ちます。 つらかった事、悔しかった事、悩んだ事も選手それぞれあったかもしれませんが、一度も野球をやめたいと言わずに頑張れたのは、励ましてくれた12人の仲間がいてくれたからこそだと思います。
そして野球の技術だけではなく、野球の楽しさ、厳しさ、そして何よりも人として大切な挨拶、自主性、協調性を教え込んで頂いた河村部長をはじめ、保井監督、コーチ陣の皆様、常に選手、応援団のベストショットを撮って頂いた北畑様に感謝の気持ちで一杯です。 今あらためて子供たちを見ていますと、入部時に比べ高くなった背丈、たくましくなった体、汗と泥だらけのユニフォームに石けんを塗りたくり必死に洗うこともなくなると思うとホットするはずなのに、なぜか寂しい気持ちで一杯です。 子供達オールの活動ではあったのですが今思えばいつの間にか私たち父兄の活動でもあった様な気がしております。私たち父兄も素敵な人達と出会い、胸を熱くした時間を共有出来本当に楽しかったです。皆様にこの場をお借りして感謝申し上げます。
それでは最後になりますが、野球を通じてさらなる成長を続けるオール有野台野球部である事を祈念致しますとともに、親子共々貴重な経験をバックアップしてくださいました河村部長をはじめとするコーチ陣の皆様、又関係者の皆様へ、選手、父兄を代表し厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。 子供たちにも1つお願いがあります。卒部してからも道ばたやスーパーで部長・監督コーチにはもちろんの事、私たち父兄を見かけたら「西井のおばちゃん、清水のおばちゃん、尾西のおばちゃん、田角のおばちゃん、亀のおばちゃん、田中のおばちゃん、加藤のおばちゃん、マッツーのおばちゃん、稲のおばちゃん、小牧のおばちゃん、ニッシーのおばちゃん前川のおばちゃん」って手を振って声をかけてくれるいつまでも素直な君たちでいてください。
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